ぼんやりと俄雨

日記、手記、雑記、テキストデータ。日常で思い浮かんだ事、感じた事を平凡に吐き出します。

踊るダメ人間

恥ずかしい人生を歩んできました。

どうも私です。

ダメ人間にも拍車がかかってきましたが、元気でやっています。

そんな感じなので久しぶりにダラダラと垂れ流します。

 

今日は久しぶりの外出で気分が悪いです。

やっぱり人混みが苦手で、今日はいつもより目が死んでいるんだろうなあと思いながら、ドナドナのように都会に出てきました。

なんでここまで人混みが嫌いなのだろうと考えると理由はわかりません。

けどこの感覚は4、5月くらいの、一人暮らしを始めたばかりの少年少女が闊歩する、あのキラキラとした大学構内を歩く感覚に似ていると思います。

けどそんな気分も人がごった返す喫茶店の喫煙ルームのあの退廃的な中ではまだマシな気がしますね。

 

ではでは、また会いましょう。

 

1997.夏

20年くらい前の夏、海へ行った時の事。ビニールシートで父と母が談笑し、妹が砂で城を作っている。

自分は鮭のコンビニおにぎりを食べながら、砂浜を眺めていた。何もおかしなところはない砂浜だったが、ところどころにタイヤの跡があった。

ずっと向こうまで、どこまでも向こうまで続いているタイヤの跡。海と空の青が混じってぼやけているあの向こうまで続いている気がした。

おにぎりを食べ終え、あの向こうまで行ってみようと思い立ち、1人でトボトボとタイヤの跡を辿った。このままタイヤの跡を辿っていけば、ぼやけた青い世界に行ける気がした。そう思うとワクワクしてきて、気付いたら夢中で走っていた。

足元を見るとタイヤの跡も無くなっていて、ただただ砂浜で1人迷子になっていた。青い世界に行けない悔しさと迷子になった心細さから、1人で大声で泣いた。

その後、20歳くらいの優しいカップルに監視員のおじさんの所に連れていってもらい、〇〇からお越しの〇〇君が迷子です、とアナウンスしてもらった。アナウンスがあってすぐに父が迎えに現れ、おじさんに深々とお辞儀をした。

母親のところに帰る途中、「どうしてそんな遠くまで行ったの?」と父から聞かれ、おじさんからもらった柿の種を食べながら、「あの向こうまで行ける気がした」と答えた。

 

ふと20年ぐらい前の事を思い出した。バカな子供でした。

三大〇〇

どうも。

私です。

 

あるジャンルの中で3つ選ぶってやつを久しぶりにやって見たかったのでここでやります。

 

新都社

・単位を下さい

新都社を好きになった原因。自分と被る点がグッド。

・迷走アニ研

柘植ちゃんかわいいかわいい。神と和解せよ。

・K

熱さの塊。他に形容しがたい。

 

フリーゲーム

・ヴァーレントューガ(光の目)

ゲーム総プレイ時間は半年以上と思われるほどやってますね。

ナルキッソス

卒論、就活等、人生に多大な影響与えられました。

Ruina 廃都物語

もう一回記憶を失ってやりたい。

 

○ やる夫スレ

・やる夫が1クリックで出会ったようです

エタったのが残念でならない。有名ではないが一番好きなやる夫スレ。

・やる夫の麻雀放浪記

現代風にアレンジが加えられてていいね。古き良き熱さが感じられる。

・キッチンやらないO

料理が趣味になった原因。

 

なんかこういうネット発信の創作物はすごい好きです。

 

 

 

 

 

感想(6年ぶり3度目のプレイ)

どうも、私です。

ナルキッソス1をやり終えました。

そんなわけで感想を書いていきます。

その前のちょっと説明。

 

 

ナルキッソスとは

― ど こ ま で も 一 号 線 を 西 へ ―

現代、暗い、主人公とヒロイン、どっちも死にます。

公式サイトより。

 

十数年前に公開されたフリーゲームです。

私の職業とか卒論とか色々影響を与えています。

 

・昔の私

最初クリアした時はとても気分が落ち込んだのを覚えています。

やりきれずにマウスカーソルをぐるぐる回して気づいたら1時間経っていたくらい、なんとも言えない気持ちになりました。

ただ鬱ゲーやったから鬱になったとかそんなことではなく、現実を突きつけられた不安と似た物を感じた気がした記憶があります。

 

・そんなこんなで今回の感想

ネタバレは極力しないように書きます。

昔はなんとも思わなかったセリフが、今現在だと刺さるものがあります。

特に刺さったのがラストシーン直前のセツミのセリフですね。

諦めを持って現実と向かい合う事は、逃げに取られるかもしれませんが、自己を守るという意味もある気がします。

弱い自分を守るために避け続ける、逃げ続ける。

私も諦めで生きているので、とても共感出来ました。

 

特にラストシーンが好きなのでダラダラと書いて行きます。

やはりラストシーンはいいですね。

えーなんでそういう終わり方!と思う人はそこらへんのドラマを見てればいいと思います。

人生というのは一つの物語だと思います。

始まりから終わりまで独りで綴る物であると私は考えています。

思う様に綴れない時もあると思いますけど、それはそれでって感じですが。

なので最後の締めを他人が決める、他人と一緒に、というのは、それは人生に対する冒涜ではないでしょうか。

やはり締めは自分で決めるべきです。

なので主人公の終わり、セツミの終わり、それがまさしく人生なのかなって思います。

なのでやっぱりPSP版のエピローグは嫌いですね。

 

あと、ナルキッソス2において、「誰が為に」という章があります。

誰が為に、いい言葉ですね。

何の為に、ではなく、誰が為に。

利己的ではなく、利他的な言葉です。

まあ誰のところに自分と当てはめる事も出来ますが。

誰が為に生きているのか言われたら、私は良くしてくれる人の為、と答えるでしょう。

良くしてくれるという事だけで、どれだけ自分は生きていけるか。

誰が為に死ぬのかと言われても、良くしてくれる人の為、でしょうね。

 

 

酒飲みながら文章は書くものではないですね。

なんだかんだぐちゃぐちゃで支離滅裂に書いてしまいましたが、やった事ない人はやってみた方がいいですよ。

おすすめです。

 

 

 

 

 

どうもこんにちは。私です。
最近は忙しく気づいたら一日中が終わっていることが多々ありますが、なんとかやっていけてます。

最近、フリーゲームナルキッソスの話を3年ぶりくらいにする事が出来ました。寝る時間を惜しんでまでのめり込んだ6年ほど前を思い出しました。

もし病気であと数年で死んでしまうとしたら。考えるだけでいい時間潰しになりますね。
昔はこんな感じの事をずっと考えていましたが、最近はただ何も考えず、目に入る事だけしか物事を受け取っていない気がします。

そんな最近ですが、昔友達が言っていた、歳をとって自分の感性を失いたくないという言葉を思い出しました。
私の感性はだいぶ昔と変わってしまい、もう私の中にあの頃の自分がいない気がします。

あの頃の自分は、様々な物事に何かしらの答えを見つけようとしていました。何度も何度も答えのない問題を考え続けて、もがき苦しんでいた気がします。今振り返ると、そんな日々もとても良い思い出なのではないかと思います。

そんな眩しかった日の頃を思い返しながら、来週あたりはナルキッソスをやってみようかなと思います。

 

「したたか」な生き方に憧れ、果ての見えない道を転がり歩いたが、手に入れたのは腰痛のみ。

 

どうも皆様、こんにちは。私です。

本日はお日柄も良くなく、4月になったというのに、春らしさを微塵も感じる事ができません。

まだまだ肌寒く、ダウンコートが手放せませんね。

本日は買い物に行きたいなとか、昼はラーメンでも食べに行こうかなとか、いろいろと楽しみにしていたのですが、何もせずもうこんな時間です。待機を命じられてから6時間。進展がありません。

こんな時こそぱーっと何かやりたいなっと考え、人誘うなり何なり行動を起こすのですが、まわりが乗ってこない時が多いです。

やはり運のない時は悪い方にしか進みませんね。

今日は1人寂しく一杯やろうと思います。

それではこの辺で。さようなら。さようなら。