感想(6年ぶり3度目のプレイ)
どうも、私です。
ナルキッソス1をやり終えました。
そんなわけで感想を書いていきます。
その前のちょっと説明。
・ナルキッソスとは
― ど こ ま で も 一 号 線 を 西 へ ―
現代、暗い、主人公とヒロイン、どっちも死にます。
公式サイトより。
十数年前に公開されたフリーゲームです。
私の職業とか卒論とか色々影響を与えています。
・昔の私
最初クリアした時はとても気分が落ち込んだのを覚えています。
やりきれずにマウスカーソルをぐるぐる回して気づいたら1時間経っていたくらい、なんとも言えない気持ちになりました。
ただ鬱ゲーやったから鬱になったとかそんなことではなく、現実を突きつけられた不安と似た物を感じた気がした記憶があります。
・そんなこんなで今回の感想
ネタバレは極力しないように書きます。
昔はなんとも思わなかったセリフが、今現在だと刺さるものがあります。
特に刺さったのがラストシーン直前のセツミのセリフですね。
諦めを持って現実と向かい合う事は、逃げに取られるかもしれませんが、自己を守るという意味もある気がします。
弱い自分を守るために避け続ける、逃げ続ける。
私も諦めで生きているので、とても共感出来ました。
特にラストシーンが好きなのでダラダラと書いて行きます。
やはりラストシーンはいいですね。
えーなんでそういう終わり方!と思う人はそこらへんのドラマを見てればいいと思います。
人生というのは一つの物語だと思います。
始まりから終わりまで独りで綴る物であると私は考えています。
思う様に綴れない時もあると思いますけど、それはそれでって感じですが。
なので最後の締めを他人が決める、他人と一緒に、というのは、それは人生に対する冒涜ではないでしょうか。
やはり締めは自分で決めるべきです。
なので主人公の終わり、セツミの終わり、それがまさしく人生なのかなって思います。
なのでやっぱりPSP版のエピローグは嫌いですね。
あと、ナルキッソス2において、「誰が為に」という章があります。
誰が為に、いい言葉ですね。
何の為に、ではなく、誰が為に。
利己的ではなく、利他的な言葉です。
まあ誰のところに自分と当てはめる事も出来ますが。
誰が為に生きているのか言われたら、私は良くしてくれる人の為、と答えるでしょう。
良くしてくれるという事だけで、どれだけ自分は生きていけるか。
誰が為に死ぬのかと言われても、良くしてくれる人の為、でしょうね。
酒飲みながら文章は書くものではないですね。
なんだかんだぐちゃぐちゃで支離滅裂に書いてしまいましたが、やった事ない人はやってみた方がいいですよ。
おすすめです。